◇ 働き者の京おんなたち

十返舎一九『東海道中膝栗毛』挿絵 弥次郎兵衛・北八 さて、弥次さん北さんにとっては神社参詣はどうもよいことで、すぐに通りかかった京の女性たちに声をかけます。通りかかったのは頭に薪やすりこぎ、ハシゴまで乗せて売り歩く女性たちです。北さん相変わらず調子よくあれこれちょっかいを出しているうちに、そのハシゴを買う羽目に陥ってしまいます。
 結局北さんはこれから先ハシゴを担ぎながらの京都見物ということになり、散々な目に遭うのですが、男の北さんでももてあますハシゴを頭に乗せて売り歩く女性は、どうも私たちのイメージにある、花や柴を頭に乗せ、藍木綿の着物を膝丈に着て赤いたすきに絣の前掛け、手甲・脚絆に日本手ぬぐいをかぶり端しをちょっと口にくわえて、「花いらんかえ〜」と頭に花を乗せて売り歩く可憐な「大原女」とはちょっと様子が違います。
 かつて京都の郊外の農家から、それぞれの作物を京の町まで売りにくる働きものの女性たちがいました。洛北、大原の里から柴や薪を売りに来る女性が「大原女」、洛東の北白川から季節の花を売りにやって来るのが「白川女」、そして、北山の梅ヶ畑の山奥から、北山杉の残り木で作ったハシゴ、踏み台などを売りに来たのが「畑の姨(はたのおば)」と言われた女性たちでした。 北さんが出会ったのは、その「畑の姨」たちだったのでしょう。その姿は昭和の始め頃まで見受けられたといいます。

 大原女や白川女は京都の風俗として現在でも残っており、大原女行列などのように観光化されていますが、ハシゴを担ぐ生活感溢れる京女の姿が伝わっていないのは、少し残念な気がします。
 
                           ◇ 日本人の旅心

大津絵『鬼の念仏』 京都見物に熱心だったのは、弥次・北や俳人ばかりではありませんでした。国学者の本居宣長は、十六歳の最初の京都見物に始まり、二度目は十九歳、そして京都ばかりでなく吉野、飛鳥、大阪、近江、江戸から富士山にまで登った旅好きです。

宣長は『古事記』や『源氏物語』を研究し、日本人の心を、自然を前にして素直に感動する「もののあわれ」という情感溢れる言葉で表しましたが、それはこの奈良・京都への頻繁な旅から得た感性だったのでしょう。宣長は松阪出身で、奈良・京都は比較的近かったせいもありますが、旅に出る前にはよく調べ、旅の間はよく見て、よく聞き、よく歩き、芝居や祭りも見物するという、非常に精力的な旅をしました。宣長の学問は机の上の研究だけでなく、現実に体験し、実感を得たものだったのです。

 江戸時代の旅には、すでに現在の旅行の原型が作られていました。あまり娯楽のなかった昔の人の好奇心旺盛な旅心こそ、今私たちが旅行を楽しむための原点なのではないでしょうか。

この回終り

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